深川エリアの街情報

歴史
もとは下総国で、徳川家康が江戸へ入府した後、武蔵国となる。湿地帯であった現・江東地区を開拓していた深川八郎右衛門の姓に由来するといわれる。3代将軍徳川家光の時代から富岡八幡宮の門前町として発達し、明暦の大火ののちに木場が置かれて商業開港地域となり、深川岡場所も設置され花街となる。江戸の辰巳の方角にあることより、ここの深川の芸者は辰巳芸者と呼ばれ、いきで気風が良いとされる。 両国橋が架けられたのちに江戸図にも載せられ、江戸に組み込まれる。材木商人として財を成した紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門も一時邸を構える。1702年(元禄15年)の大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入った事件では、一行は富岡八幡宮の前の茶屋で最終的な打ち合わせのための会議を開いたと伝えられる。曲亭馬琴はこの地で生まれ、平賀源内や松尾芭蕉、伊能忠敬なども深川に住んだ。 1878年、東京15区の一つとして成立した区域に名称として採用された。この深川区は、現在の江東区のうち横十間川より西側の地域全てであり、現在の江東区深川よりはるかに広い範囲である。1945年3月10日の東京大空襲ではこの深川区に爆撃初弾が投下され、区内は焦土と化した。戦後1947年に城東区と合併し、現在の江東区となる。 深川江戸資料館ができたり、深川めしが東京駅の駅弁のメニューに登場したりで、脚光を浴びるようになった。また、深川不動堂など、深川の地名のつく施設もある。

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